~風の彼方~
美しいものが好き。自然と身体にいいことを模索・実践中です
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石田英湾氏の著書
最近、かなり食事がゆる〜くなって、分泌物が多く、辛くなってきました。

そんな時に目に入ってきたのが、石田英湾氏。

大森英櫻氏については、正食医学講義録、無双原理講義録、運命を開く名前のつけ方、人間大森英櫻、などの作品を読んできました(流したと書いた方がいいかもしれません)が、客観的な大森氏論を読むことができる、ということで、今、桜沢・大森の正食医学理論 食べもので病気は治せるを読んでいます。

まだ最初ですが、のっけから入ってきた言葉。
桜沢氏の「無双原理・易」からの抜粋で「ヒトはダレでも幸福である。そして、その精神的健全(徳)と肉体的健全(健康)は、根本世界原理ー生命、人生、大自然の根本原理に関する発明自得、理解の深さと体験の方向に正比例する。だから幸せでなかったら、その人の罪、無知、無理解である。」
石田氏によると、不幸の原因は、
「親の「無知」が原因である。(註釈:サリドマイド児の例が一例として挙げられている)化学薬品はすべて毒物ということを正しく知っていたら、宣伝で売られる毒物に心惹かれることはなかったはずである。この知識だけでも危険の大半は避けられる。化学薬品が毒物なら、これを製造・販売許可した政府が悪い、と言いたがる。厚生省(現、厚生労働省)という役所が認めようが認めまいが、化学薬品に頼りたがる無知が問題なのである。
(中略)無知とは、神を知らないことの別称と言ってよい。神と自分との関係、宇宙の秩序と自分との関係、自然の法則と自分との関係、これらを正しく認識して常識として神と共にあれば、日々の正食子を医者や薬に勝ることも常識となっているはずだ。食べものと食べる方法が正しければ、医者や医薬を要求する体制は生じない。正しい食べものと、正しい料理法と、正しい食べ方を正しく知っていて体得していたら、身体に不幸をもたらす原因も要求も生じない。」

大森氏のストイックなまでの探究心と実践を少し離れた距離から見ながらも、最終的に大森氏の正しいことを伝えていく石田氏に、今までと違った大森氏の教えを見ることができるという点で新鮮な書物となりました。石田氏自身は強烈な個性の持ち主である、桜沢氏、大森氏と比するとより中庸な個性であると思います。大森氏の真似はできない、とし、動物性を百パーセント否定する大森氏のことを、あまりにも神経質すぎると、腹の中で批判し続けた石田氏が、それでも最終的に玄米菜食での浄化が進むに比例して、今一歩の物足りなさを感じるようになり、それを追求することによって得たものを開陳していく過程に惹かれています。

現代は、そもそも正しい食べものを手に入れることが難しい時代であることを考えると、どこまで実践可能であるかということがまず問題となるのでしょうが、それでもまた、少し穀菜食回帰への道を示してもらっているような気がしています。
食べものは命です。
砂浴
砂浴

今朝8時から、桜井海岸にて、友人と砂浴してきました。彼女は完全に埋めたのですが、私は、主に下半身のみ。

二時間ほどの砂浴でしたが、彼女は、むずむずチクチクしていたらしい。また、じっと体を固定してるのもしんどかったらしい。。。今日は、曇天で肌寒いくらい。人もほとんどおらず、釣り人が2人とお孫さんのために流木を探して歩く女性が一人のみ。すっかり埋まった友人に、「顔だけ出てる」とびっくりし、「立って埋まってるの?」と聞かれました(笑)

最初は上半身にハエが来て、しばらくすると下半身に移動して行ったそうです。私は心臓の鼓動をいつもより鮮明に感じ、砂は温いと言うより冷たい感じでした。ハエはちょっとやってきてました。

すっかり埋まっていても、砂を大量に乗せなければ、自力で出てこれる、ことが発見でき、一人でもできるんだなぁとわかった今日。でも一人でやるのは勇気がいるよ。

砂から上がった彼女は、腎臓の周りが少し赤くなってました。夏も終わり、気温の変動が激しいこの頃、腎臓に負担かかってます。秋の食欲も少し控えめでケアしてくださいね。
小ネタ?
ずっと、謎だと思っていたことがあって、思い立って昨日ググってみましたが、やっぱりわからず終いです。

老人性色素斑を気にしている姑、痒いときは耐え難いということで、暫し皮膚科に通ってました。

皮膚科では「治ることはありませんが、塗り薬は出します。」

ということで二種類の軟膏を出してもらったそう。見た目は同じ色素斑なのに、左足と右足に塗る薬が違うのです!

理由は?と聞いてもよくわからない。また、難聴で説明をよく聞き取れなかったため、曖昧なままに軟膏を塗りまくっていたところ、ある日、「副作用があるから、色素斑だけに塗ってと言ったでしょう!」と怒られた(姑曰く)らしい。

結局行くのをやめたのですが、2本のうち、1本は新薬でした。名前はわかりません。小ネタでした。
ラパロ
『「ラパロ(らぱろ)」とは、腹腔鏡、外科腹腔鏡を意味する業界用語である。 英語laparoに由来する。』

ググったら、これが一番に出てきました。

なんでラパロかというと、ものすごく久しぶりに腹腔鏡手術を担当してくださった方のblogを見に行ったからです。

もう10年以上前になります。当時から年間500件以上の手術をなさっていた高名な医師で、私はそれまでの彼の経歴上、2位の子宮筋腫切除数の患者でした。(一位になれず残念^.^;;) 大雑把な解釈をお許しいただければ、筋腫には大きなかたまりがあるか、小さなかたまりが沢山出来ているか、ではないかと思うのですが、私は後者で、4時間以上にわたる施術だったと記憶しています。

担当医は、黙々と真面目にひたすら仕事をなさるイメージだったけれど、術後にblogの存在を知って拝見した当時は、後進の指導や講演会で全国を飛び回り、休みの日はいつも走ってました。(マラソン)

久しぶりに見に行った彼のblog、今も後進の指導や講演会で飛び回られていることに変わりありませんが、とても哲学的(もしくは宗教的?)になっていて、ヨガやピラティスなども出てきてびっくり。生命と向き合うことを、ものすごい数なさっていると、あるいは走り続けた結果なのか、こうした道に進まれているんだなぁと思ったことです。

当時は西洋医学を信じていた私、術後も妄信的に受診してましたが、何せ有名で引っ張りだこの先生、予約がなかなか取れないこと、「近くに婦人科あるでしょ。」と婉曲的?に受診拒否されたこと、術後間もなく再発したこと、により、西洋医学から離れるきっかけを頂いて、検診も含めて、通院の必要性を感じなくなり、病院から離れて行きました。

決定打は、言われたように「近くの病院」に行って、赤ら顔のDr.からしつこくMRIを勧められて断った時に、「どうなっても責任持てませんよ」という言葉を投げつけられた(ように感じた)こと。自分の体は自分が責任を持とうと決めた瞬間でもありました。病院へは、お見舞いや付き添い(受診の意思を持つ人の妨げはしません)で行ったりはするけれど、自分のために行くことはなくなりました。感謝です。
鎮心の急所
前回の続きで、畑は引き続き、ヨモギの根っこを撲滅中。最初は手で土をかき分け、ヨモギをたどって根っこを引き出していましたが、必死になりすぎて、爪に土が入り、人差し指第一関節の内側の皮が厚くなり、硬くなり、黒くなってきたので、スコップを使うことに。(なぜか軍手をはき忘れて、そのまま作業に没頭してしまうのが悪い癖です。)

今度はスコップを土に挿しこもうとして、手の平で押しすぎ、これもあまりに必死になっていたため、ふと痛みを覚えて手の平を見ると、皮が剥けている、という体たらく。こんなになるまで、気がつかずにいるなんて鈍すぎる‥。

この皮がむけたところは、鎮心の急所です。文字通り、心を鎮める所ですね。鎮心の急所とググってみると、甲野先生の鷹取の手が出てきました。試しにやってみると、なんだか心が落ち着きます。

とはいえ、鷹取の手を作るために鎮心の急所を窪ませる、というのが、怪我をしてる今は、かなりキツイのです。でもって、ヨガのポーズをとる時に手の平を下にしても力が入らない。それなりに穴が開いて体液が滲んでるので、手の平を動かすたびに、口が開くような感覚です。この程度なら大したことがない筈の損傷でも、体には大きく響くものだな、ということを改めて感じています。かなり心と体が緊張していたので、止むを得ずの破壊になったのかもしれません。手が治るまではしばし畑仕事はお休みです。

鎮心の急所、ふっともう一方の手(親指)で触れてあげるだけでも心身は緩みます。一度試してみてくださいね。
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